キリスト教伝道者がわかりやすく解説!(聖書とは何かを知るための簡単な知識を厳選し紹介)
こんにちは、キリスト教伝道者来栖川クリスです。
今回は聖書そのものについてキリスト教伝道者が簡単に解説していきます。
本記事は聖書って何なのかよくわからないけど、手っ取り早く知りたい人必見です。
聖書とはどのような本なのかを簡単に概観し、大づかみに理解することができる内容となっておりますので是非ご利用ください。
[目次]
- 「聖書とは何か」
- 「聖書の特色」
- 「ご紹介」
【聖書とは何か】
案外知られていないのは、聖書は所謂‘‘キリスト教の本’’ではないという事です。
その内容は極めて普遍的で、全人類が読むことを想定して書かれており、キリスト教徒のみに向けて書かれているものではありません。
しかし、背景知識の理解を要求するような内容や、出てくる言葉の難しさ、或いは、圧倒的なページ数の多さが災いして一般の人はめったなことが無ければ読む気にはならないでしょう。
キリスト教などの一神教と無関係な人にとって、聖書は特殊な読み物であるという先入観があると思います。
事実、大昔の西洋史を振りかえれば、特に識字率が低かったころは文字を読み書きできるキリスト教の司祭や、哲学者等の智者の読み物として認知されていた歴史があり、一般人には読めない本とされてきました。
今もその点は変わらないと私の肌感覚では思います。教会でしか読めない本という先入観やキリスト教徒だけが読める専門書という認識は未だにありますよね。
確かに聖書を語るのには専門的な知識がある程度必要にはなりますが、今の翻訳聖書には言葉の意味や背景説明の注釈まで書かれているので、聖書の中心的な内容を理解する上ではそれほど難しい知識は要求されません。
ただし、書かれている内容を"疑わなければ"です。
初めから内容の信ぴょう性を疑ってしまうと、書かれていることが嘘であるという前提の元、下手に背景知識を調べようとして大変難しく感じ、途端に難易度が跳ね上がります。
聖書に書かれていることの中には現代の常識から考えるとあり得ないように見えることもありますが、すべてが事実として取り扱われ、物語が進んでいきます。
フィクションであるという前提で内容を理解しようとすると正直面白くも無いし、自分には全く関係ないように思え、途端にくだらなく感じてしまい、結果読むのを途中でやめてしまうことがほとんどだと思います。
疑って読もうとするならば聖書を読むことは苦行に近いでしょう。
逆に、信じる者には精神的必要を満たしてくれる有益な書となってくれます。
そこにキリスト教徒である、なしは全く関係ありません。
聖書の言葉はすべての人の為に宛てられたものであり、あらゆることから救いうる可能性を、どのような背景にある人にも提示します。
聖書とはそのような本です。
聖書の成り立ち
聖書が多くの人に知られるまでの成り立ちを語る上で、決して外せないのは聖書の‘‘歴史書‘‘という側面です。
人類歴史の数千年以上をカバーしている正確な歴史書であり、考古学的な価値を保ちつつ、神が如何に人類の歩みに介入してきたかという観点から歴史が語られています。
聖書が今のように人類のほとんどの人に知られるようになったのは、長きにわたる現代文明の歴史を、正確に記してきた蓄積が要因です。
ある民族のある時期の歴史を記した歴史書は数多くありますが、なかなか人類一般の、すべての歴史を一つの書としてまとめようとした歴史書はありませんよね。
聖書はそれを試みたのです。もちろん古代という時代的制約や、聖書は中東で書かれたものなので地理的制約があります。
或いは宗教書という目的の制約の元、人類歴史を記しているので限界はありますが、その内容は古代に書かれた物とは思えないほど非常に正確で、未だその記述を確定的に覆すものはありません。
それを可能にしたのが、中近東に古代から現代にまで存在しているイスラエル民族、今でいうユダヤ人達です。
彼らは聖書の内容を少なくとも3000年以上語り継ぎ、文書に残してきた人類歴史の生き証人たちで、世界の歴史を正確に覚えて記録していくノウハウを持っていました。
ユダヤ人達は全世界という単位で自分たちの歴史を正確に位置付けて記録し、自分たちのアイデンティティーを何時でも確認できる形で残そうと試みて、見事成功したのです。
彼らの文書の正確性は、今まで聖書の記述を認めなかった現代に書かれた他の歴史書の記述を後に覆すほどあります。
それ故、ユダヤ人達は時に‘‘記録の民、記憶の民‘‘と呼ばれることがあります。
聖書の筆者であるユダヤ人達が、神への畏怖から慎重に現文明の歩みを記録した結果、我々は正確に歴史の年代を把握して人類の歩みを振り返る事が出来ているのです。
現在、現文明の歴史を正確に概観できるのは、聖書のみです。
現文明が存続し続ける限りは、聖書はいつまでも読まれ続け、人類の歩みが書かれている本としての立ち位置は決して揺るがないでしょう。
聖書の内容
聖書の内容には歴史、法、教理、詩歌 預言等、様々な側面がありますが、中でも最も重要なのは‘‘契約‘‘という側面です。
聖書のメインテーマは神の‘‘人類救済計画‘‘で、人は救われるべき存在であり、神が人類の創造主であるという事を前提に、いかにして人を救おうとして来たかを一貫して記しています。
聖書は、神が契約という方法を用いてい人類の歴史に介入し、人は神との契約に沿って歩んできたことを記している、神と人との契約書なのです。
内容を正確に理解する上では、聖書の契約という側面は決して外すことができません。
何故なら聖書の内容は、神の人類救済計画が、契約というターニングポイントで進展していく構造となっているからです。
聖書は‘‘古い契約‘‘から‘‘新しい契約‘‘へと移る聖書物語の大きな進展から、‘‘旧約聖書‘‘と‘‘新約聖書‘‘、大きく分けて二部構成になっております。
かの有名なキリストが十字架にかかり、人類の罪の為に死なれたというお話が‘‘新しい契約‘‘の内容であり、新しい神との約束、即ち「新約」聖書として記録されています。
新しい契約に至るまでの神と人との契約の歴史が、新約と対比して旧い約束とされ「旧約」聖書として纏められました。
つまり新しい神との契約が聖書全体の中心的な文脈となっており、「旧い契約」は「新しい契約」の伏線となっているわけです。
聖書の内容を一言で表すならば‘‘神と人との約束の歴史‘‘といった具合でしょうか。
神は契約という方法をもって常に人に救いの手を差し伸べていると聖書は今も声高に叫んでいます。
「聖書の特色」
聖書には語りつくせないほど様々なことを書いていて、多種多様な特色を持っていますが、ここでは世界の数多ある書籍と比較した場合に注目すべき特色を、三つ紹介いたします。
聖書は三つの宗教の教本である
聖書と言ったときに、そのまま「キリスト教」の教典のことを指しますが、他に「ユダヤ教」「イスラム教」の教典の一部、或いは、土台ともなっています。
なんとなくキリスト教の本である認識はあるものの、ユダヤ教、イスラム教にまで内容が共有されていることは意外と知られていないですよね。
一神教すべての教えの土台が聖書にあることは、聖書になじみのない我々日本人が知るはずがないのは当たり前なのですが、覚えておきたい世界の常識です。
聖書は太古から今も続いてる二つの民族の歴史を記しています。二つの民族とは、聖書を守り記録してきた民族「ユダヤ人」とユダヤ人とを同じ先祖を持つ「アラブ人」です。
この二つの民族は聖書の登場人物の「アブラハム」という人物を先祖に持つ民族であり、ルーツを同じくしています。
二つの民族は聖書の伝承の元歴史を歩み、やがてアラブ民族からはイスラム教が、ユダヤ民族からはユダヤ教、キリスト教が成立いたしました。
時に一神教を「アブラハムの宗教」と呼ぶのはそのためです。何を隠そうイエスキリストもアブラハムをルーツに持つユダヤ人なのです。
アブラハムの三つの宗教は、ユダヤ教においては約2500年間、キリスト教においては約2000年間、イスラム教においては約1500年間聖書の伝承と共に歩んできました。
二つの民族の歴史を刻み、三つの宗教の成立の直接的な要因となり、今もアブラハムをルーツに持つ人々の精神的主柱となっているのは、聖書の特色の一つと言えるでしょう。
聖書は世界一読まれている本である
聖書が世界一読まれてる本であることは世界基準からして周知の事実ですが、我々日本人には、以外にも知られていないのではないかと思います。
世界一読まれているという事は世界一売れているという事でもあるので、聖書は‘‘世界のベストセラー‘‘とも呼ばれています。
これは何も今に始まった事ではなく、千年以上前から続いていることなのです。
聖書が読まれている訳は、聖書の持つ様々な価値にあります。
大雑把に考えて、一神教の``教典‘‘として用いられている時点で、世界の一神教徒の人口比からすると、およそ世界の過半数の人が価値を認めていることになりますが、他にも様々な価値があるのです。
先程‘‘聖書の成り立ち‘‘で少し紹介したように歴史書としての価値があり、宗教の教典として用いられていることから宗教書としての価値があります。
又、聖書には大昔の詩が書かれているので文学的な価値もあり、且つ内容の精神性の高さから哲学が論考されたりもします。
或いは、預言が書かれているので、神秘性の高さから占いやスピリチュアル、オカルト、陰謀論や都市伝説に商業利用されることもあります。
太古の昔から親しまれ、世界の半分以上の人に価値を認められ、今も尚読まれ続けている本は聖書以外にはありません。この事だけでも読む価値があると思いませんか。
聖書はたった一つのことを目的とした本である
聖書は様々な時代に、多くの人々によって様々なテーマで執筆されたものでありますが、目的は一つで‘‘神を信じる為‘‘と一貫しています。
もしもこの本を手に取る時があっても、その分厚さに気圧されてつまづく必要は何もありません。
極論を言えば、聖書は読者に‘‘神を信じるのか、信じないか‘‘の二択を要求しているだけの本なのですから。
それ以外の目的で読んこともできますが、聖書の目的は第一に神を信じることにあるのです。
どのような本でも、必ず執筆目的がありますよね。
例えば、歴史書の目的は過去の出来事を後世に伝えるという目的を持っています。
哲学書の目的は、人間が考えていることの分析という目的ををもっています。聖書も同様です。
聖書は長い間人類に親しまれ、様々な人に影響を与えてきましたが、神を信じる為の本であることが忘れられた時に、途端に内容が誤って解釈され、様々な誤解を与える書とされてきました。
ある時には金儲けの口実に、またある時には戦争の口実になってしまった歴史があります。聖書程書かれた目的と違った用法で利用されている本はないでしょう。
聖書が目的と違って利用される背景には、長きの間に蓄積された権威にあります。日本人には想像しにくいと思いますが、世界における聖書の持つ歴史的権威、宗教的権威は今も計り知れません。
例えばイスラエル共和国はユダヤ人の国ですので、旧約聖書そのものが歴史となっています。
ヨーロッパ諸国はキリスト教の発展と共に近代化したので、聖書抜きに歴史を語ることは不可能です。
或いは、世界の覇権国の長であるアメリカ大統領は、就任式の際、聖書の権威の前に誓いが要求されます。
神への畏怖から聖書の権威の前にひれ伏すのは、今や西洋世界の慣習となっているのです。
裏腹に権威が悪用されることもあります。
金儲けの為には、宗教的権威からカルト宗教や占い、オカルト、スピリチュアル、陰謀論者のビジネスに利用され、エンタメと称して最近では都市伝説にも利用されることがあります。
戦争の為には、歴史的権威から、イスラエルとパレスチナの領土紛争を通した大国同士の代理戦争に、聖書の言葉は間接的に利用されていると言えるでしょう。
しまいにはテロや民族差別、時に大虐殺の口実としても利用される始末です。
すべては聖書の目的を読み違えた結果、権威の誤用によって起っている事なのです。
たった一冊の本が常に世界の社会問題の中心にあります。
権威だけが独り歩きをして、内容がおろそかになり、目的が忘れられつつあることは大変嘆かわしいことです。
聖書には金儲けの方法が書いてあるのでも、人と争う為の口実が書いているのでもありません。
ただひたすらに人の心が神に向かうようになる為にすべてが書かれています。
神と人類との歩みを記録する為の歴史、神に至らしめる為の教えや奇跡、神を讃える為の詩、神という希望と栄光を表す為の預言、すべては人が神を信じる為に書かれてることです。
もちろん、別の価値を見出し、恩恵を受けることは可能ですが、あくまでも神を信じる為の本であることは忘れないでほしいと願います。
聖書が分厚いのは人をぶん殴る為ではありません。
人が神と繋がり、神を信じる為なのです。
(まとめ)
聖書は現文明の歴史が全世界の単位で記録されたことを要因に傑出した本となった。
聖書の内容の中心的なテーマは神の人類救済計画であり契約というポイントで書かれている。
聖書はアブラハムの民族の歴史を記録したアブラハム宗教の精神的主柱となっている本である。
「ご紹介」
サムネイルの絵
サムネイルの絵のタイトルは「契約主義的聖書概観図」です。
聖書には「契約主義(ディスペンセーショナリズム)」というアプローチの読み方があります。
聖書の内容を、聖書に書かれている神と人との8つ契約から概観して理解しようとするおすすめの読み方です。
この絵には契約主義的な視点から見た聖書の全体像が表現されています。
契約主義に基づいて左から右に、順番に神と人との契約が描かれており、左から、神の人に対する祝福を示した「エデン契約」、神が罪の呪縛に堕ちた人類をどの様に救われるかを示した「アダム契約」、神の全世界的な裁きを示した「ノア契約」、「アブラハム契約」、人が神の救いに与るには何が必要なのかを示した「モーセ契約」、やがて世界を救い治める王が現れることを示した「ダビデ契約」、人類の罪からの救いの成就である「新約」、救い主と救いに至る者たちが治める国の到来を示した「御国の契約」という具合となっております。
計8つの神と人との約束を、契約の象徴である虹で結んで表現し、神の人類救済計画の全体像を視覚的に概観できるようにいたしました。
この絵を見れば聖書の全体像は一目瞭然です。著作権フリーですので観賞用や聖書の学びにでもお用いください。
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