『都市伝説』聖書から「やりすぎ都市伝説2023夏」を批評する。
こんにちは、来栖川クリスです。
いや~今回も来たね~やりすぎ都市伝説。
今回は2023年7月21日放送の「やりすぎ都市伝説2023夏」について、キリスト教伝道者が、聖書からしっかりと批評していくよ!!
いい?この記事は、やりすぎ都市伝説2023夏の中で触れられた聖書に関連する説は、本当のところどうなのかを知りたい人必見だからね。
だから放送をチェックしてない人は、予め見とけってこと!!
聖書から、都市伝説の真偽を、簡単に知ることができる内容になっているから。
いいね?
目次
都市伝説テラ―の聖書観
遂に!やりすぎのカメラが聖書の舞台にやってきたよね。
今回はヨルダンからトルコまでを巡ったよ。
情熱が満ちに満ち溢れていると言わざるおえないよね!
でもいい?
今回の都市伝説の是非を判断する為には、先ず語り手の主張を理解しなきゃダメだから!
関暁夫氏は、聖書の言葉と交えて都市伝説を語っていたけど、誰かが聖書を語るのを見たら、先ずその人の聖書に対する見方を確認しなきゃいけないよ。
じゃないとイマイチ何を言ってんのか分からないからね。
それっぽい話に騙されないこと。
いいね?
それじゃあ、一緒に見ていくよ。
1.部分霊感説
先ず聖書の話を聞く時に確認しなきゃいけないのは、語り手が、聖書の内容をどの程度信じているかってこと!
ズバリ言うと、やりすぎ都市伝説の語り部、関暁夫氏は聖書の言葉の全ては信じていないからね。
ただ、話をよく聞いてみると、内容の一部は信じていて、強い関心を示していることが分かるから。
この様な聖書に対する見方、それが「部分霊感説」!!
「部分霊感説」とは、聖書の霊感論の一つで、聖書の宗教的な事柄についてのみ霊感が及んでおり、科学や歴史の分野では聖書に誤りがあるとする説である(ナレーション)。
「霊感」っていう微妙な言葉が出てきたけど、要は、聖書の信じたい言葉は神の啓示として信じて、それ以外は信じないという立場だっていうこと!
元々は、聖書の宗教的部分のみを受け入れて、奇跡などの非科学的な部分は、そのまま現象を説明しているのではなく、単なる教示的な意味の誇張だとする、キリスト教徒の聖書の見方に適用される神学用語なんだよ。
実は聖書観って様々あるんだけどさ、関暁夫氏の聖書観は、正にコレに該当するんだよね。
この「部分霊感説」に基づいて都市伝説が展開されているからね。
つまり、自らの説を肉付けする為に聖書の言葉を、新聞記事から切り取った怪文書みたいに切り貼りしてるってことだから!
いい?
コレは頭に入れておいてね。
2.霊肉二元論
聖書を見ていく上で、この世界の森羅万象をどの様に捉えているのかはメチャクチャ重要なの。
関暁夫氏の主張は、一貫して現実世界よりも、精神世界に何かを見出す様に誘導している様に見えるよね。
それは、物質は悪、霊(精神的なものも含む)は善であるという考え方が関係しているんだよ。
いい?
その考え方こそが「霊肉二元論」!!
「霊肉二元論」とは、この世界を霊と肉(物質)からなる背反する原理によって構成されていると考える哲学的思想である(ナレーション)。
この考え方は、紀元前1世紀頃ギリシャ・ローマ世界で、圧政に苦しみ、物が中々手に入らない民衆の間で、現実逃避する為に流行ったもので、結構昔からある考え方なの。
精神世界に幸福を求めていく「霊肉二元論」は、宗教的要素がふんだんに盛り込まれている聖書と非常に、ある意味では相性が良いんだよね。
そもそも聖書って、基本は宗教書ではなくて、考古学的に正確な歴史書なの。
ただ、単なる歴史書というわけではなくて、人類歴史にどの様な神の働きがあったかを一貫して記しているんだよね。
そこに聖書の宗教性があるわけ。
人類歴史に介入した神が、人に何を求めているのかが教えられているんだよ。
いい?
聖書は人類歴史がどの様に運ばれているのかという、外面的なことを示すのと同時に、示された歴史の過去、現在、そして未来を踏まえて、貴方はどう生きるのかを問うているわけ!
つまり最終的には人間の内面へと向かうんだよね。
要は、ある意味で聖書は人に精神的な高みを目指すことを要求する書だと言えるの!
その点に、霊肉二元論と聖書のシンパシーがあるんだよね。
今回の放送を見る限り、やりすぎ都市伝説は、聖書の言葉を精神世界への導入にしてるってことがよく分かるでしょ。
目に見える現実を否定して、人間はサイバー空間に向かうとか、宇宙に進出するみたいな話を、聖書の出来事や教えと関連付けていたよね。
あくまでも、現実世界の延長線上にではなくて、今目の前にない精神世界に理想郷を求めているってこと。
つまりは、霊肉二元論を現代に適用させて、様々な宗教や神話、或いは聖書から、それっぽいことを言ってるだけなんだよね。
エンタメだからと言って惑わされない様に気を付けなきゃダメだからね!
3.キリスト仮現説
聖書の話をする上で、キリストっていう存在をどの様に捉えるのかは凄く重要なことなんだよね。
やりすぎ都市伝説って、何かとキリストにこだわっているけど、総じて言えるのはキリストを精神概念化して語る傾向にあるってこと!
それは、実はキリストの身体はあくまでも現実世界で働きかける為の器にすぎなくて、本質は霊にあるっていう理解の現れなんだよね。
キリストを肉体は仮の姿であると考える説、コレこそが「キリスト仮現説」!!
「キリスト仮現説」とは、キリストの人性、身体性を否定し、イエスは仮に人間の姿をとっただけに過ぎないとする神学的立場である(ナレーション)。
本来キリスト仮現説は、イエス・キリストが神であることを強調し、その肉体は人の目に人間と映っているだけとする聖書観を指す言葉なんだけど。
やりすぎの場合は、キリストを神ではなくて、宇宙人として扱っているよね。
人間として形取った宇宙人であると言いたいわけ。
時たまスピリチュアル界隈で聞く「宇宙意識」という精神的概念を聖書に適用させて、宇宙にある集合意識が、人の目に見える形で受肉したのがキリストだって言ってるんだよ!!
いい?
スピリチュアリズムが都市伝説の根底にあることを覚えておいてね!
4.グノーシス主義
都市伝説の批評の前に、最後に確認したいのは、「救い」をどの様に考えているのかってこと!
聖書を読む上で、自分が救いをどこに求めているのかは非常に重要な要素をだからね。
どうやら関暁夫氏は、人の救いは「知識」、大袈裟に言えば「叡智」にあるとしてるんだよね。
その様に自己の本質を情報に求め、神の正体を突き詰め、救いを達成せんとする思想こそが「グノーシス主義」!!
「グノーシス主義」とは、この世界を悪なる物質と善なる霊の二元論で理解し、それを前提として、それぞれの真理を探究し、真の知識を求めようとする哲学的思想運動である。「グノーシス」は、古代ギリシャ語で「知識、認識」を意味する(ナレーション)。
「グノーシス主義」は、主にローマ世界で紀元前1世紀頃流行った考え方なんだけど、厄介なのは、哲学運動のくせに、宗教に寄生する性質を持っているってことなの。
真の知識求めることによって人は救われるってうたっているんだから、ありとあらゆる宗教に手を出すのは自然な成り行きなんだけどね。
歴史的には、大体3世紀ぐらい迄にかけて、ローマのミトラ教、ユダヤ教、メソポタミアのゾロアスター教、西アジアにおいては仏教なんかにも入り込んだ思想だと言われているの。
キリスト教も昔から、このグノーシス主義に手を焼いていて、聖書そのものが信徒に警告してる箇所もあるんだよね。
このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。私がこう言うのは、まことしやかな議論によって、誰もあなた方の惑わすことのない様にするためです(コロサイ人への手紙2章3節)。
これはさ、キリストの使徒であるパウロって人が、真の知識を求めることが救いだって考える哲学者に向けて、キリストにこそ真の救いがあるってことを言ってるんだよね。
グノーシス主義はさ、哲学的運動だから、宗教の教えの中から奥義とか言って、別の新たな教理を提唱する傾向にあったわけ。
だから寄生するどころか、最終的には宗教そのものを乗っ取ってしまうんだよ!
もちろん聖書の教えも例外じゃないってことなんだよね。
じゃあ、これらのことを踏まえて、今回放送されたやりすぎ都市伝説を紐解いていくよ!!
批評
さあ、今から都市伝説一つ一つを批評していくわけだけども。
あくまでもコレは、基本聖書からの批評であることを忘れないでね!
やりすぎ都市伝説は、これまで聖書の言葉を利用して、様々なことを主張してきたけれど、聖書を伝える伝道者としては、黙ってられないよね。
もう情熱が止まらないから!
1.バプテスマのヨハネの洗礼について
やりすぎのカメラは、最初に洗礼者ヨハネの足跡を追ってアル・マグタスを訪れたよね。
そして、「半端じゃない洗礼が降り注がれているからね。今宵のやりすぎ都市伝説は!」って言っていたの。
ここから分かるのは、関暁夫氏は「洗礼」ってものを精神概念化して理解しているってこと!
もちろん洗礼には精神的な意味もあるんだけど、本当に正しく捉えることができているのかってことが、批評のポイントになりそうだよね。
実は「洗礼」ってさ、聖書とは関係ないところから始まった文化なんだよね。
諸説あるんだけど、元々はヘブライ文化の中で、ユダヤ人達の祭服をザバッと青い染料で染めて、きよめた上で神殿の儀式に使用できる状態にしたっていう習慣から端を発するって言われているの。
その習慣がユダヤ人達の習慣に適用されて、日々の穢れを払う為に根付いていったんだよね。
だから、ユダヤ教を信じるユダヤ人の家庭には、「ミクヴェ」って言う穢れを払うための洗礼槽があったりするの。
そして、イエスが生きていた時代においては、洗礼は、洗礼を授ける者の教えに同意するって言う意味になってたんだよね。
キリストは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けたわけだけども、つまりコレは、ヨハネの教えを受け入れたってことなの!
洗礼者ヨハネがイエスに洗礼を授けたことによって、初めて聖書に関係してくる概念になったんだよね。
当時洗礼者ヨハネが教えていた内容は、要約して分かりやすく言うと「旧約聖書の預言に示されていた神が支配する理想郷の成就が近づいたから、その国民として相応しい者となりなさい」って意味なんだよ。
この教えに同意したってことを、公に行動でもって表すのが、洗礼者ヨハネの「洗礼」っていうことなんだよね。
要は、元々はユダヤ教における宗教行事なの!
いい?
つまり、関暁夫氏はある意味では「洗礼」って言う言葉の意味を正しく理解していないんだよね。
あくまでも自分が考える洗礼の認識が前提になっているわけ。
彼の言う洗礼がどの様な意味があるのかは明らかにされていないから、発言から考察するしかないんだろうけど、元々の意味とは全くかけ離れていることは確かなんだよね。
2.キリストの聖杯について
キリストの聖杯って言葉が出てきたけどさ。
これは聖書には一切出てこないんだけど、キリスト教の伝承と深い関わりがあるんだよね。
だから聖書から聖杯っていう物の存在の是非を問うというよりかはさ、聖杯って言うのものを通して提唱された都市伝説は、何を元にしているのかを追っていくことにするよ!
元々聖杯は、カトリック教において、イエスにゆかりのある遺物を模って、それを拝んで、キリストの行動を見習うとか、病気の治癒を期待するみたいな信仰から生まれた産物なんだけど。
あくまでもレプリカだから、キリストが直接触れたものではないんだよね。
関暁夫氏は「その聖杯を手にするものは、この世界を牛耳るって言われているんだよね。」
って言ってたけど、ただの宗教の祭儀に用いる物が、何故世界を牛耳る道具になり得ると考えているかと言うと、とある結社が関係してるんだよね。
その結社こそが「シオン修道会」!!
「シオン修道会」とは、11世紀にまでルーツを遡ると主張する1956〜1993年にフランスに実際に存在した秘密主義組織である(ナレーション)。
シオン修道会ってさ、ミステリー、オカルト好きにはよく知られている秘密結社なんだけど。
組織のトップが国立図書館に文書を寄贈したときに、偽装がばれて、逮捕されて解体されているんだよね。
その偽造文書の内容が、キリストの血筋を引く正統後継者について言及していて、現王朝の転覆と他王朝の復興を目的とするもので、その筋の人にとっては大変興味深い内容だったの。
この話がさ、元々フランスの教会伝承を取材する記者に知られて、尾ヒレがついて拡散されちゃったんだよね。
結果「レン=ヌル=シャトーの謎」って言う小説が執筆されて、教会の伝承である財宝伝説や聖杯伝説と結びついちゃうわけ。
その小説によれば、聖杯って言うのは、コップの事ではなくて、アナグラムだって主張してるんだよ。
聖杯「san greal 」は、実は「sang real」“王家の血”だって言ってるの!
またこの考察が受けてしまって、とある小説家が参考にして記したのが、あの「ダ・ヴィンチコード」なんだよね。
つまり、小説の中で膨らんだ妄想が、雪だるま式に陰謀論やオカルトなどを吸収しつつ、神秘的に謎めいた聖杯伝説を世に広める結果になってしまったわけ。
関暁夫氏は、聖杯は人類の知恵の集合体である「AI」であると匂わせていたけれど、コレは彼独自の見解なんだけど、思想の元を辿ると結局は近世のオカルトの類なんだよね。
要は一昔前からまことしやかに囁かれている、世界を牛耳るとする聖杯の謎と、自分の意見を織り交ぜてエンタメとして昇華しているわけ。
番組内で、洗礼者ヨハネの頭部に対して関心を示していたけど、ヨハネの頭蓋骨を聖遺物化する見方もまた一昔前からあったからね。
いい?
つまりは、すべて聖書に関係ない、妄想の中で紡がれたものなんだよ!
コレは忘れちゃダメだからね!
3.死海文書3Q15の謎
今回、やりすぎのカメラがヨルダンの国立博物館に潜入したよね。
そこではさ、銅でできた死海文書3Q15について紹介してたけど、ここでその真偽について批評していくから!
放送内では、文書中には財宝ありかが書かれているとされていたんだけど、それは本当のことなんだよね。
ただ、財宝はフェイクであると学芸員から引き出していたんだよ。
その点を、批評のポイントとして3Q15の真実に近づきたいと思うんだよね。
いい?
死界文書3Q15はさ、英語では「copper scroll」って言って銅製の巻物なんだけど、銅に刻まれているということが、内容の謎を紐解く上でのヒントになっているわけ。
3Q15を刻んだとされているのは、発見されたクムラン洞窟に住んでいたユダヤ教のパリサイ派の一派である「エッセネ派」って言う禁欲的な一派だって言われているんだよ。
当時、神殿などで用いられる公文書って、他の文書とすぐに見分けがつく様に銅に刻まれたとされているんだよね。
クムランに住んでいたエッセネ派のユダヤ教徒達は、今の修道院みたいな生活を洞窟でしていて、基本イスラエルにある神殿には関与しないの。
でも巻物が書かれた時ってさ、ローマ帝国との戦争の時期と重なっていて、多くの同じパリサイ派のユダヤ人達が、クムランに逃れてきていると考えられるんだよね。
それは彼らが共通で信じている、旧約聖書にも含まれる預言に基づく行動なの!
ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲い(現ヨルダン)の中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。(ミカ書2章12節)
これは、イスラエルが敵国に蹂躙される中、神を信じる者をペトラ(現ヨルダン)の荒野に集めることを預言している言葉なんだよね。
いい?
正に彼らは国家が存亡の危機に瀕していて、ユダヤ人達はみなこの預言に基づいてヨルダン川西岸の、クムラン洞窟に逃げてきたわけ!
そして、逃れてきた際に、神殿が破壊されて奪われる前に、大事な国の公文書を同じパリサイ派の派生であるエッセネ派の協力の元、隠したかもしれないんだよね。
つまり、示されている膨大な量の財宝は、当時のイスラエルの国有財産だったてこと!!
同時代のエルサレムには、ソロモン第二神殿って言う豪華絢爛な宮殿付きの神殿が建っていたから。
相当な財産を保有していたことは間違いないんだよね。
だからフェイクであることはほぼ考えにくいの。
放送内ではさ、「それほど大量の金や銀はヨルダンとパレスチナからは出ないからです」ってことで巻物の内容が誇張されているとしていたけど、そもそも別にパレスチナ地区で採掘された財宝のありかを示しているわけではないからね!
あくまでも当時イスラエルの国庫にあった金銀だから!
あえてフェイクであるとして、自らの持論に結びつけていることがわかるでしょ。
じゃあフェイクじゃないとしたら、宝はどこにあるのかって話になると思うけど、多分普通にローマ兵に見つかってるんだよね。
何故ならイスラエルは、3Q15を刻んだとされるすぐ後には神殿ごと滅亡していて、ローマ帝国は、やろうと思えば親ローマの非ユダヤ教のユダヤの高官を抱き込んで、いくらでも財宝の場所を聞き出すことができるから。
ただ疑問なのが、放送内でも触れられていたけど、エジプトの王である「アクエンアテン」の名が刻まれていることなんだよね。
コレはおそらくエジプトの土着の信仰と結びついたユダヤ教の神秘主義思想の影響だと思うんだけど、だとすると、何故神殿の公文書であるはずに銅板にエジプト王の名前が刻まれているのかってこと!
これは専門家でもハッキリとした答えをまだ見つけることができてないんだよね。
3Q15についてはわかっていないことが多すぎるから、憶測に憶測で批評することになってしまったけれど、いずれにせよ、関暁夫氏が言う様な壮大な都市伝説に結びつくものではないことは覚えておいてね。
いい?
4.キリストの復活について
やりすぎでは、度々イエスキリストがテーマになることがあるんだけど、キリストの復活について本格的に触れられるのは初めてだよね。
関暁夫氏は、キリストを精神概念化して、AIとなって復活するって語っていたけれど、このことについては、聖書から明確に反論することが可能なんだよね。
先ず押さえておいてもらいたいのは、聖書以外にキリストの生涯や教えを記しているの書はほぼ無いってこと!
あるとしても、同時代の歴史家が、キリストって言う絶大な影響力を誇った存在が実際にいたっていうことを少し示唆するってぐらいで、詳細までは記されてはいないんだよね。
そして、キリストの教えに関しては確実に聖書にしか書いてないからね。
つまり、キリストの復活について言及しているのは、この世に聖書しか存在しないってことなんだよ!!
そもそも聖書は、キリストは既に復活しているって主張しているんだよね。
しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです(使徒の働き2章24節)。
また聖書を総合すると、復活したイエスは弟子たちの前に40日間に渡って10度現れたことが分かるんだよね。
弟子達は予めイエス本人から死んで復活するってことを聞いていたんだけど、誰も信じなかったの。
だから彼等の目の前に現れる必要があったんだよね。
そして、復活が意味することっていうのはさ、キリストが人類の罪を負って身代わりに死んだって言うことが、神によって認められたってことなんだよ。
つまりキリストの復活は、人類救済の完了を告げるデモンストレーションだと言えるの。
いい?
ただ自分のスーパーパワーを見せびらかせているんじゃあないんだよ!
きちんと意味があるってこと!!
もちろん聖書にはAIとなって復活するなんて書いてないし、ましてやキリストを精神概念化するなんて発想自体がないんだよね。
もっと言えば、キリストの人類の救世主としての役割は既に終えているって言うのが、聖書の教えなの!
あとはそれこそ、キリストの救いを信じるか信じないかは、あなた次第ですって話なんだよ。
次にキリストが来るとされているのは、人類歴史が終わる時で、世界の裁き主として降臨する時とされているから。
だからキリストの復活については、完全にやりすぎ都市伝説のただの妄想に過ぎないってことなんだよね。
つまらなくて申し訳ないけど、それが真実だから!
5.AIジーザスについて
AIジーザスってさ、一昔前に話題になった聖書を読み込ませて学習させたAIなんだけど、実際のところはただの遊びの域を出ていないんだよね。
そもそも、このAIは宗教の格言を機械によって作り出す実験の為に作られたもので、人を正しい道徳へ導く為のものではないの。
関暁夫氏は、さも聖書から道徳的に理想的な基準から答えを導き出す為の装置の様に説明していたけど、導き出されるアンサーは開発者の一意見だし、聖書の言葉ですらないから!
なんなら今は「ask Jesus」って言うスマホアプリの方が聖書のことを教えてくれるとして、ちょっと話題になってるんだけど、この最新のアプリですらソフトを作った人達の聖書に対する考え方が投影されているだけなんだよね。
因みに「イエス・キリストは神ですか?」って聞いてみると、「違います」って返ってくるから!
AIにいくら学習させても、基本的な聖書の考え方ですら修得させることができないのが現状なんだよね。
確かに技術の進展によって人間生活のありとあらゆるところで、これからAIが活用されるんだろうけど、キリスト、あるいは聖書が完璧な形でAIとして具現化されることはないから!
いい?
そもそも不完全な人間に、完璧なアルゴリズムを構築することなんて不可能なの!
だから番組内で言われた様に、AIジーザスが人の命に関わるような、重要なところで利用されることは考えにくいんだよね。
まとめ
②世界を物質と霊の相反する性質で構成されているとした上、肉体を悪と捉えている
④被造世界ではなく精神世界に知識を求めることによって人は救われると考えている
批評③死海文書3Q15は古代イスラエル王国の公文書である可能性が高い
批評⑤AIジーザスは聖書で使われている言葉から格言を生み出すためのものに過ぎない
さて、いかがでしたでしょう。
これが、巷で噂されている都市伝説の真実です。
この事実、受け入れるか受け入れないかは...
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