聖書の名言(迷言) 「空の空。すべては空。」(伝道者の書1章1節~2節)
こんにちは、来栖川クリスです。
今回は聖書の迷言である「空の空。すべては空。」を、キリスト教伝道者が分かりやすく解説していきます。
本記事は、聖書のことばにすこしだけ触れてみたいと思っておられる方にオススメです。
聖書の教える人生観を簡単に知ることができる内容となっておりますので、是非ご利用ください。
今回紹介するのは、聖書中の詩集である、「コヘレトの言葉」1章1節~2節に含まれる言葉なのですが、この箇所で区切ると、きれいに3行詩に様になっていて、詩集全体の概要にもなっています。
3行詩目の「空の空。すべては空。」という結論に向けて、1行詩ずつ背景説明を交えながら、3分割で簡潔に解説していきます。
「目次」
「ご紹介」
1.「エルサレムの王、ダビデの子、伝道者のことば。」(1節)
1行詩目は「コヘレトの言葉」の著者が、何者かが示されています。
先ず「エルサレムの王、ダビデの子」とありますが、これはダビデ王の次にイスラエル王国を継いだソロモン王を指します。
ということは、「空の空」という言葉は、ソロモン王の言葉であるということです。
また「伝道者」とあるのは、ソロモンが王としてではなく、いち人間として伝えてたいことがあるということの現れです。
この詩が書かれたであろうソロモン王の治世は、イスラエル王国の黄金期であり、絶頂期です。
ダビデ王の時代に統一された王国を引き継ぎ、隣国との関係においても概ね良好で、経済的に非常に豊かでした。
飽食の時代で、鼻から食い物が出るほどの豊かさであったとされています。
ソロモンの父ダビデ王は、政治的手腕に長けており、軍事的にも非常に優秀な指揮官でした。
彼は、紆余曲折ありながらも先代から不安定な状態で国を受け継ぎ、分裂していた国を平定し、次々と戦に勝利していきました。
それだけで無く、王国がバラバラとなっていた要因である宗教的無秩序を改善するために、神殿建設を計画し、民に精神的主柱と明確な目標を与えました。
見事にイスラエル王国黎明期を牽引したダビデ王は、息子ソロモンに理想的な形で国を引き継ぐことになります。
また、ソロモンは、非常に知恵のある賢王とされていて、父からの宿題である神殿建設工事を見事に主導し、荘厳な神殿を完成させます。
神殿の内部は、全て純金で覆われ、祭具も殆ど純金製で造られました。
また、豪華な王宮も建設しましたが、王座は象牙で造られ、それは純金で覆われていました。
食器も全て純金で、銀の物はありませんでした。
「銀は、ソロモンの時代には価値あるものとはみなされていなかった。」(列王記第一10章21節)
という程に、物の価値がインフレしていたということでしょう。
イスラエル王国は正に黄金期を迎えたのです。
王国は絶頂期を迎える一方、国王ソロモンは「空の空」と歌いました。
何やら意味深ですね。
そんな、何ひとつ人生に不足のない、満たされていたはずのソロモンが、何故「空の空」と歌っているのでしょうか。
一体何を訴えたいのか。
2行詞目に移りたいと思います。
2.「空の空。伝道者は言う。」(2節a)
2行詩目は、伝道者ソロモンがこの書を通して何を主張したいのかが表現されています。
「空の空」。
この言葉が、「コヘレトの言葉」全体を通して貫いているメインテーマです。
「空」と訳されている言葉は、原語では「へベル」と言い、「虚無」というニュアンスがあります。
その「へベル」が「空」の「空」と二度繰り返されているのは、強調の意味を表す詩的表現が施されているからです。
つまり、とにかく人生は空しいということが言いたいわけです。
非常に哲学的なテーマと言えましょう。
ソロモンは物に満たされながらも、自らの人生に空さを感じていたのです。
ある神学者は、人間の心には決して埋めることの出来ない大きな穴があると言います。
人は際限なくあるとあらゆる物をそこに詰め込もうとするが、穴は宇宙空間の様に口を広げ際限なく飲み込むと言うのです。
そして、その穴が人間に虚無感を与え、欲求へと繋がるものとなっているとしました。
ある人はそこに食べ物を放り込みます。
ある人はそこに異性を放り込むことでしょう。
またある人は、そこに仕事を放り込みます。
しかし、食べ物は死ぬまで必要だし、異性に期待しても、同じ虚無を抱えている人間ですから、貪り合うのがオチです。
貪り尽くしたらヤドカリみたいに他の人へ移り、食い尽くしたら適当な理由をつけてお別れし、かわいそうな自分に酔う。
酔いが覚めたら再び寄生先を探し回る。
現代人の典型ですね。
では、仕事はどうでしょうか。
一生懸命働き、評価され、金を得ることによって、社会に必要とされ、チヤホヤされることによって心の穴は埋まるのでしょうか。
これ以上ない程の成功者であり、クイーンオブポップスと評価されているマドンナと言う歌手がおります。
彼女は富、名声、エンタメ業界では力も欲しいままにしましたが、成功を手にしても尚、自らの心に確かに巣食う虚無があると自伝で認めています。
承認欲求と言う言葉とは全くの無縁であり、一つの道を極めた彼女ですら、人の心に確かに存在している穴を塞ぐことが出来ませんでした。
有名な人であろうとも、しばしば自殺するのは、心が弱いからではなく、自らの深淵と目があってしまったからでしょう。
ましてや貴方はどうでしょうかと、聖書は人間に訴えかけます。
ソロモンもまた、人の心の虚無に当てられた一人の人間です。
これ以上ない程に満たされ、欲しいものは全て、何でも手に入る状態だったからこそ彼は、他の誰よりも、現実的に心の中に無限に広がる大きな宇宙を感じたのでしょう。
そして伝道者として、他の誰よりも満たされた立場に置かれた者として伝えねばならないことがあると筆を取ったのです。
3.「空の空。すべては空。」(2節b)
3行詩目は、「コヘレトの言葉」の結論とは何かが表現されています。
伝道者は、要は人生の「すべては空」であると言っているのです。
人間の生きる道、それ即ち「虚無」である。
コレが賢王ソロモンの導き出した結論です。
彼は、晩年大きな失敗をします。
王国が経済的に豊かになり、他国とのグローバルな交流が増えていく中で、宗教的干渉を自ら招き入れてしまいました。
結果、王国のアイデンティティーは損なわれ、民の心がバラバラになってしまい、分裂を引き起こしてしまいました。
そして、国力が弱まり、次第に戦が増え始め、経済は冷え込み、イスラエル王国は衰退期を迎えることになります。
ソロモンは自らのアイデンティティーを忘れ、自らの意味を失ってしまったのです。
アブラハムが約束した地に住み、今その約束の中を歩んでいるということ。
モーセ率いる先祖たちが葦の海を渡り、解放された結果、今ここにいるということ。
先代ダビデが先駆けとなって国をまとめ上げ、栄える為に全て必要な物全てが備えられていたということ。
自らが何者かを忘れたことによって、文字通り何者でもなくなってしまったのです。
この姿が人間の本性ではないでしょうか。
自らが何者かを忘れた何某が、「空の空。すべては空。」と言いながら、虚しく過ごす時間。
それが人生だとソロモンは言い切ります。
「しかし本当にそうだろうか。」
この言葉に真摯に向き合い、その様な問いかけが心の底から出たならば、知っていただきたいことがあります。
私はソロモンの爪の先程も、心の闇と向き合ってはいませんが、同じく、いち伝道者として心を虚しくしている人に伝えたいことがあります。
人が生きる意味は「神」にこそあります。
それがこのソロモンの言葉、及びこの言葉が書かれている「コヘレトの言葉」には記されていない聖書全体の結論です。
筆者であるソロモンは、「神」という、今まで自分の主柱であったものを忘れた結果、無意味で空しい人生を送ったのでした。
その結果、人生は「空の空」だと言ったのです。
彼は神を忘れた結果、自らのアイデンティティーをも失いました。
先祖アブラハムも、モーセも、ダビデも全て「神」を中心に据えて歩んできた信仰者です。
そもそも、人間そのものが神の作品であると聖書は言います。
作者である神のために生きてこそ、作品である人本来の生き方があると言うのです。
しかし、現代人は何の根拠もない、元々哲学的思想であった進化論と言う神話を何となく信じ込み、本来の存在意義を失い空しく息をしています。
人の心の虚無の原因は、「神を忘れたこと」である。
というのが、別の角度から見えてくるもう一つの結論です。
本当に貴方は、ある時偶然起こった大爆発から発生した宇宙の、偶然形成された惑星の中で、偶然生じた微生物の中から、偶然起こった突然変異によって変化した無意味な生命体なのでしょうか。
その無意味なの生命体が偶然群れを成し、ある日偶然産まれたとし、偶然そこにいるとしている貴方は、自分にどの様なアイデンティティーを見出すことが可能だと言うのですか。
それとも「いやいや人間決まった答えなどないよ」という思考停止で底の浅い答えを胸に、心虚しく貪り続ける人生を続けますか。
それもいいでしょう。止める資格は誰にもありません。
誰しも同じ様に心に大きな穴が開いているのでから。
しかし、真に満たされた意味のある人生を送るためには、一歩立ち止まって考える必要がありそうです。
その穴に何か詰め込もうとするのではなく、覆ってくれる存在を求める必要があると思います。
4.「まとめ」
「空の空。すべては空。」という言葉は、ソロモン王の言葉である。
「空の空。すべて空。」という言葉は、富者ソロモンが伝道者として伝えたいことである。
「空の空。すべては空。」という言葉は、神を忘れた空しい人生を説明する言葉である。
「ご紹介」
1.サムネイルの絵
サムネイルの絵のタイトルは、「原罪論曼荼羅」です。
これは、キリスト教神学が提唱する原罪論を表した、曼荼羅です。
曼荼羅とは、主に西アジアの宗教に用いられている、教理体系を模式的に示した円図形のことをいいますが、この図には聖書の教理に基づく、神を失った人間の本質が、見える化されています。
聖書の学びの助けとなれば幸いです。
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