『都市伝説』聖書から日ユ同祖論を批評する。
こんにちは、来栖川クリスです。
今回は巷でまことしやかにささやかれている「日ユ同祖論」について、キリスト教伝道者が、聖書からしっかりと批評していきます。
本記事は、聖書と深いかかわりがある都市伝説、日ユ同祖論は、本当のところどうなのかを知りたい方必見です。
聖書から、日ユ同祖論の是非を、簡単に知ることができる内容となっておりますので、是非ご利用ください。
目次
日ユ同祖論とは
本論に入る前に、日ユ同祖論とは何かを簡単に説明します。
日ユ同祖論は、日本人とユダヤ人が同じ祖先を持つとする説のことを指します。
この説によれば、日本人とユダヤ人は古代に共通の起源を持ち、言語や文化、民族的特性などが似ているとされています。しかし、この説は歴史的な証拠には基づかず、科学的には根拠がないため、都市伝説とされています。
元々は、近世に来日したイギリス人宣教師が、日本に移住したときに提唱した説と言われています。
現代、メディアの発達により多くの人たちに知られ、特にオカルトや陰謀論と結びつき、再び脚光を浴びるようになりました。
今回は、そんな日ユ同祖論について迫っていきます。
ユダヤ人の定義
日ユ同祖論を語る上で、最も重要なのは、ユダヤ人とは何を指すのかを明らかにすることです。
先ずユダヤ人とは何なのかを知らなければ、具体的に、日本人とユダヤ人の何が共通しているのかが分からないからです。
一般的にユダヤ人とは、広義的にイスラエル民族全体を指す場合と、狭義的にイスラエル王国分裂後の南朝の3部族である、ユダ族、ベニヤミン族、レヴィ族を中心とした共同体を指す場合の2通りあります。
前者の民全体を指す場合は、旧約聖書の神と契約を交わしたというアブラハムと言う歴史上の人物の正当後継者である、ヤコブの12人の息子から出た、12の部族からなる民族を指します。
ヤコブは、祖父アブラハムの契約を継承するにあたり、様々な試練を経ますが、その過程で神から新たな名である「イスラエル(神と共に戦う)」という名を与えられます。故にその子孫たちは、祖先であるイスラエルという名を屋号としているわけです。
後者のイスラエル南王朝だけを指す場合は、イスラエル民族が国家として歩み始め、しばらくたったある時、骨肉の争いによって王朝が分裂し、北方に別れたエフライム族中心とした、北王朝の10部族を除いた3つの民族を指します。
北が10部族なら、南は2部族ではないのと思われた方がいらっしゃると思いますが、レヴィ族という部族は、割り当ての地を持っておらず、根無し草で、北南問わず各地に点在していたので、重複していますことをご理解ください。
南王朝は、ユダ部族を中心とし、王朝を定めていたので、ヤコブの子ユダの名前から因んで、ユダヤを屋号としました。
ユダヤの意味は、ユダは「ほめたたえる」であり、「ヤ」は神を指すえん曲語で、「神をほめたたえる」というニュアンスがあります。
北王朝から分裂したときに、我々こそが真に神をほめたたえる国であるというプライドがあったのでしょう。
ユダヤ人という言葉は、今では圧倒的に12部族全体を指す総称として用いられることが多いですが、厳密にはその内の一部族であるユダ族を指す方が正確です。
日ユ同祖論を論じる場合も、同様にイスラエル民族全体を指す意味での、ユダヤ人を前提として、ヤコブを共通の先祖に持つという主張が展開されています。
日ユ同祖論者の主張
日ユ同祖論を支持する人は、以下の3つの主張を前提としています。
これから紹介する説は、科学的な根拠はなく、あくまでも推測の域を出ないのでご理解ください。
しかし、科学的でないからと言って、即座に真実ではないとは言えないからこその都市伝説です。
それを聖書から批評し、皆様に本当にそこにロマンを求めることが出来るのかを迫るのが本記事の目的ですが、先ずは日ユ同祖論の主張を見なければ何も始まりません。
1.イスラエル北王国の10部族の離散
イスラエル王国は、南北分裂以降、国力が弱体化した。
北王朝はアッシリア帝国によって滅され(紀元前722年)、捕囚政策の中で上流階級の者を中心に捕囚の身となった。
アッシリア帝国サルゴン王(紀元前722年~紀元前705年)によって滅ぼされた北王国は、当時の碑文によれば、およそ2万7290人が捕囚されていると確認できる。
捕囚民の数は、当時の北イスラエルのおよそ20分の1ほどであり、実際はほとんどの民が現地に残された。
しかし、その後の足取りはハッキリとはわかっていない。
一部は、周辺諸国の民族と混血し、埋没したことは明らかであるが、聖書外典や偽典等の伝承によれば、信仰を阻害されない未開の地を目指し、離散したと考えることも十分に可能である。
離散したイスラエルの民がたどり着いた地の中で、日本も可能性としては排除できない。
2.日本人とユダヤ人の人類学的な近さ
多くの日本人の遺伝子配列は、古代イスラエル民族に近いと指摘されている。
特にアイヌ民族や琉球民族などの先住民族に関しては、その特徴が顕著である。
具体的には、遺伝子情報の伝達を担う染色体、特に父系によって定まるY染色体の変異型が、古代イスラエル民族と類似しているということである。
日本人の多くに見られるY染色体変異型が高頻度で見られるのは、ほかにチベットのみであり、日本特有のものとみることも可能。
つまり、日本古来の人類学的特徴が、離散したイスラエル民族と同質のものとなれば、日本人とユダヤ人は同じ祖先を持っていたと考えることもできる。
3.聖書の記述
聖書の記述の中には、日本に関する預言とおぼしきものが見受けられる。
代表的なのは、以下の聖句である。
また私は、もう一人の御使いが、日の昇る方から、生ける神の印を持って上ってくるのを見た。彼は、地にも海にも害を加えることが許された四人の御使いたちに、大声で叫んだ(ヨハネ黙示録7章2節)。
黙示録7章は、聖書に預言されていた終末時代の裁きに際し、神に選びだされたイスラエル12部族が守られることを表している。
「日の昇る方」というのが、最も当てはまる国として挙げられるのは、現代に適用して考えれば、一般的に日本であると言える。
紀元70年のエルサレム陥落以降、イスラエル民族は正確に自分の家系図を知ることができない。
しかし「日が昇る方から~来る御使い」、即ち「遠方に散らされたユダヤ人の末裔である日本人」たちが、本来のユダヤ的アイデンティティーを取り戻した時、そこに真のイスラエル王国の国民が現されると解釈することが出来るのではないか。
批評
日ユ同祖論は、今回取り上げた主張のほかにも様々なものがありますが、聖書というユダヤ人の歴史書が無ければ、どれも論ずることは不可能です。
したがって、聖書から日ユ同祖論を批評することは、説の是非を判断する上で、最も重要であると言えるでしょう。
本記事は、あくまでも聖書から日ユ同祖論を批評することが目的ですので、科学的なアプローチはしないことを、ご理解ください。
1.イスラエル北王国の10部族の行方
聖書は、イスラエル北の10部族を、失っているとはしていません。
根拠となる聖句はいくつもありますが、代表的なのは以下です。
彼らはこの神の宮の奉献式の為に、雄牛百頭、雄羊二百匹、子羊四百匹を捧げた。また、イスラエルの部族の数に従って、全イスラエルの為に罪のきよめの捧げものとして、雄やぎ十二匹を捧げた(エズラ記7章17節)。
これは、イスラエル北王国の捕囚約130年後、南王国がバビロン帝国に捕囚(紀元前609年頃~紀元前586年)され、預言通り70年後帰還し、神殿が復興したときの、奉献式の生贄の内訳です。
「全イスラエルの為に~雄やぎ十二匹を捧げた」とありますが、明らかに12部族の為に12頭の生贄が捧げられています。
確かに北王国が、アッシリア帝国により蹂躙されたことによって、10部族は壊滅的になりましたが、南王国のイスラエル帰還(紀元前539年頃)に合わせて、北の居残り組が合流したことがうかがえます。
また、イスラエル復興期から約400年後、新約聖書の時代においては、12部族がイスラエル国内にいることが常識となっています。
私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでいます(使徒の働き26章7節)。
これらの聖句は、新約聖書からの引用です。
以上のことから、北王国の10部族は、聖書では失われていないと扱われていることが分かります。
但し、新約聖書の時代において、北王国の捕囚以降、南王国の3部族、レヴィ族、ベニヤミン族、ユダ族以外の9部族に関しては、系図が正確に追えなくなっている可能性は大いに考えられます。
北王国滅亡以降、聖書に9部族の固有名詞があまり用いられないのは、その為なのかもしれません。
しかし、それをもって10部族が失われたとは言えません。
2.サマリア人という人種の存在
聖書には、サマリア人という人種が存在します。
サマリア人とは、イスラエル北王国が捕囚政策にあった時、国に居残った民と周辺民族との混血民族のことを指します。
つまりはハーフです。
聖書は、ユダヤ人の血をどの民族よりも色濃く継いでいるサマリヤ人を、ユダヤ人とは認めていません。
理由として最たるものは、宗教性の違いが挙げられます。
南王国の帰還以降、サマリア人たちは、北王国の10部族と同じように合流し、神殿復興工事を手伝うことを申し出ました(エズラ記4章1節~2節)。
しかし、当時の南王国の帰還民の指導者エズラは、サマリヤ人はユダヤ人ではないという理由で許可しませんでした。
これを皮切りに、サマリア人たちはユダヤ人と互いに憎み合うようになり、自分たち独自の礼拝の場をゲリジム山(現パレスチナ領)という山に築きます。
彼らは、同じ神を拝んでいましたが、互いの礼拝の場を互いに受け入れず、互いに異端であると主張するようになりました。
サマリヤ人に関しては、ユダヤ人の聖地であるエルサレムに死体を投げ込み、礼拝を妨害していたほどでした。
このいさかいは、新約聖書の時代にまで続いています。
私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなた方は礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています(ヨハネの福音書4章20節)。
この聖句は、ユダヤ人であるイエス・キリストに、サマリヤ人の女が、真の礼拝の場所はどちらかを尋ねている個所です。
サマリヤ人のユダヤ人対する関心事が 礼拝の場所であることがよく表されています。
逆に、ユダヤ人の彼らに対する関心事も同様でしょう。
何故聖書の神を信じると言いながら、聖書に書いてある通り、エルサレムの神殿で礼拝しないのかと。
こういった背景も相まって、ユダヤ人とサマリヤ人との溝は深くなり、血の問題よりも大きな宗教的問題を抱えるようになってしまいました。
以上のことから、ユダヤ性は、遺伝子のような人類学的なことよりも、宗教性に依存していると言えるでしょう。
ましてや、サマリア人よりも確実に血縁的に離れ、聖書の神を一ミリも知りもしない宗教的にもユダヤ人とかけ離れている日本人が、彼らと同祖であると取り扱われる道理は、聖書にはないのです。
3.聖書の記述の正しい解釈
聖書には、日本に関する預言とおぼわしきものがあるということが、日ユ同祖論者及び、一部の牧師や学者の間で提唱されています。
しかし聖書には、日本、或いは日本人と言う概念は一切想定されていません。
先ほども取り上げた聖句を例に挙げてみます。
また私は、もう一人の御使いが、日の昇る方から、生ける神の印を持って上ってくるのを見た。彼は、地にも海にも害を加えることが許された四人の御使いたちに、大声で叫んだ(ヨハネ黙示録7章2節)。
確かに黙示録7章は、聖書に預言されていた終末時代の裁きに際し、神に選びだされたイスラエル12部族が守られることを表していると、解釈が可能です。
しかし、「日が昇る方」というのは「日本」とは解釈できません。
これは聖書全般に言えることですが、「日が昇る方」とか、太陽が昇る方角である「東の方」とか言った場合には、イスラエルの国境線を縦断しているヨルダン川、以東の地を指します(例:列王記第一5章10節、イザヤ書2章6節、24章15節、46章11節)。
つまり、イスラエル領の外側に広がる地、聖書の言葉を借りれば「異邦人の地」全体を指す、えん曲語であるということです。
異邦人とは、非ユダヤ人を指す言葉でありますので、外国人を表現する言葉となります。
幼子イエスを、星を追ってはるばるペルシャから訪ねてきた東方の博士たちも同様に、外国人です。
西に地中海をいただくユダヤ人達にとって、東方こそが外国人が住む地の代名詞でした。
以上のことから、聖書が、日が昇るとか、東の方とか言った場合、日本のことに言及していないのは明らかです。
聖書に、他に日本を限定して指していると思われるようなワードはありません。
故に、聖書の記述から、日本人とユダヤ人が同祖であることを証明するのは不可能であると言えます。
まとめ
日ユ同祖論とは、日本人とユダヤ人が同じ祖先を持つとする都市伝説のことである
ユダヤ人をどの様に捉えるのかは、日ユ同祖論を論じるうえで重要である
①イスラエル10部族は離散し、日本にたどり着いている可能性がある
②日本人とユダヤ人は、人類学的特徴が類似しているので、同祖である可能性がある
③聖書の記述の中にも、日ユ同祖論を支持しているとおぼしきものがある
批評②サマリヤ人がユダヤ人ではないとしたら、日本人はユダヤ人ではありえない
さて、いかがでしたでしょう。
これが、巷で噂されている都市伝説の真実です。
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