バイブルバイブレーション

聖書の言葉で震えるような体験をあなたへ

聖書を読もうと思っているそこのあなた!本当に準備できてる?(聖書を読むうえでの心構えと最低限の知識を厳選し紹介)

こんにちは、来栖川クリスです。

今回は聖書の読み方ついてキリスト教伝道者がしっかりと解説していきます。

本記事は聖書を読んでみたいけど、読むにあたってどういう知識が必要かわからない人、或いは、どこから読んだらいいか分からない人必見です。 

聖書を読むうえで必要な心構えと、最低限の知識を簡単に理解できる内容となってますので、是非ご利用ください。

 

目次

➼ 何を求めているのかを明確にしよう

➼ 聖書の目的を知ろう

 

➼ 聖書のメインストーリーを理解しよう

➼ 聖書の構造を理解しよう

 

 

➼ サムネイルの絵 

➼ 聖書をお求めの方へ

 

 

【聖書を読むうえでの心構え】

 聖書は誰でも読むことができますが、ある程度の覚悟が必要になる書です。キリスト教伝道者として、皆さんには構えずにもっとライトに読んでほしいと思うのですが、正直言って小説感覚で読んだら大変ギャップを感じると思います。

 

と言いますのも、聖書はたくさんの要素を含んでおり、ページ数も膨大だからです。

 

聖書は旧約39巻、新約27巻、計66巻となっており、文字数は約200万語、ページ数にして2154ページあります。その要素は多種多様で、宗教的要素、歴史学的要素、考古学的要素、文学的要素、哲学的要素等様々あります。

 

 山登りに例えるのなら、一般的な書を読むことは富士登山で、聖書を読むことはエベレストに登るような感覚でしょう。

 

ですから、多少の案内と足がかりになる心構えが必要になります。

 

「何を求めているのかを明確にしよう」

 聖書とひとえに言っても様々な要素が含まれるので、何も考えずにパッと手に取って読むことはオススメしません。

 

山に何の案内や装備もなく登るようなものだからです。

 

山に登る時は、何を目的に登るのか、どこから登るのか、何を持っていくのか、何処まで登るのかという事をある程度考えますよね。

 

同様に聖書を読むにあたっては、ある程度の計画性が必要です。

 

最も必要なのは、読むにあたって”何を目的としているのか”ということでしょう。

 

自分が聖書のどの様な要素に需要を感じて、どの様な必要を満たそうとしているのかという目的を明確にすることは、読むうえでの足がかりになってくれます。

 

聖書は66巻からなっており、1巻1巻がかなりの情報量なので、目的によって読む所を自由に選ぶことができます。

 

古代中近東の歴史学的な探求をしたい場合は、聖書の年代記である「歴代誌」や「列王記」を、紀元後の時代ならば、歴史書である「ルカによる福音書」や「使徒行伝」を読めば時代背景がよく分かります。

 

軽く聖書の格言や詩などに触れたい場合は、「詩篇」やソロモンの「箴言」「伝道者の書」を読めば、聖書の精神性の高さを簡単に、且つ手軽に押し測ることができます。

 

宗教的な論考が目的ならば神学的な内容を含む「ヨハネによる福音書」や新約聖書の手紙類を読めば一神教宗教の基本的な教理を理解することができます。

 

哲学的な論考が目的ならば聖書全体からテーマを抽出することができます。

 

目的もなく読んで、すべての意味を正しく理解できるほど聖書の情報量は薄くありません。知りたい情報に応じて読む所を決めて、徐々に少しずつテーマに沿って読んだ方が内容を理解しやすいでしょう。

 

自分が今、何を求めているのかを明るくしておくことは、聖書のどの巻を読むかの選択に関わってくるので、非常に大切ことなのです。

 

まさか2154ページある聖書を何も知らない状態で、冒頭から最後まで読もうとする無謀な人はなかなかいないでしょう。

 

神父や牧師、伝道者ですらようやりません。

 

登山の際、クライミングなのか、ハイキングなのかによってコースを選択するように、聖書を読むうえでは先ず、自分は何を求めているのか明確にすることを強くオススメします。

 

 

「聖書の目的を知ろう」

 どのような本でも、必ず執筆目的がありますよね。

 

例えば、歴史書の目的は「過去の出来事を後世に伝える」という目的を持っています。

 

哲学書の目的は、「人間が考えていることの分析」という目的をもっています。

 

聖書も同様です。聖書には様々な書が含まれますが「神を信じる」という目的で一貫しています。     

 

この目的を知らぬまま読もうとすれば、聖書は大きな誤解をもたらすものとなります。

 

事実、聖書の内容を誤解して、怪文書のように読み、自分の目的の為に利用することは古代からよくありました。

      
現代も同様です。巷には聖書にまつわる都市伝説や陰謀論があふれています。代表的なのは「フリーメイソン」に関するものでしょう。

 

メイソン自体が聖書の記述や権威を利用して結社の神秘性を高め、人集めをしています。

 

他には聖書の章節を利用し創作された「バイブルコード」、ユダヤ人の誤った歴史観から生まれた「イスラエルの失われた10氏族の謎」、日本人の選民思想からささやかれている「日ユ同祖論」、一昔前の小説が元ネタである「キリストの聖杯伝説」、地方の教会伝承から生まれた「キリストの子孫存在説」、オカルティズムから生まれた「レプティリアン爬虫類人間)世界支配説」等、挙げればきりがありませんが、聖書からセンセーショナルな文言だけを切り取って繋げ、自分の仮説へと持っていき、金儲けや承認欲求の為に人を集めようとする者が後を絶ちません。

  

全ては聖書の目的を理解しようとせずに自分の目的に引き込んで利用された結果生まれている誤解であり、残念ながらすべて聖書の記述から創作された作り話です。

 

目的が忘れられた時、聖書は誤って理解される傾向にあります。

     

聖書の言葉は人に利用されるためにあるのでも、或いは、神を信じない人生の歩みを助長するでもありません。

 

神を信じて生きていく人生へと導びき、人を根本から変える為にあります。神を信じて生きていく人生と、そうでない人生は全くの別次元にあるものです。

 

神を信じて生きていく人生にこそ、人間としての尊厳と価値を失わない、自由で真の意味で充実した人生があるというのが聖書の大前提となる主張です。

 

故に、信じないものの人生の愚かさや空しさが示されることもあります。

 

それは読者に「神を信じるのか」「信じないのか」の二択を迫る為です。

 

聖書の言葉は誰でも親しむことができますが、共に生き方の変革を求められるような厳粛さも兼ね備えていることを知っていただきたいと思います。

 

神と人との約束のを記録する為の歴史、人を神に至らしめる為の格言や教え、神の栄光を讃える為の預言、詩歌、すべては、まだ信じていない人には信じるようになるために、既に信じている人には常に信じるようになるために、人の心を神に向かわせるために書かれているのです。

 

 

【聖書を読むうえでの最低限の知識】

 率直に言って、聖書は脳死で読めるほど簡単な書ではありません。正しく理解する為には、最低限必要な知識があります。

 

漫画等のフィクションを取り扱った作品は、物語から脱線することがあっても、きちんと本筋があってお話が成り立っています。

 

それは作者が物語を飽きさせない為、或いは物語の本筋の意味を際立たせるための創意工夫です。

 

同じ様に聖書にも本筋があり、また本筋から話がそれることもあります。

 

それぞればらばらの時代に書かれたものが編集された聖書ですが、すべて同じ目的が設定されており、すべて同じ本筋の元物語が進んでいきます。

 

それは其々の書の書き手が、同じ信仰に立って聖書を書き記したことの表われです。

 

しかしフィクション作品と違うのは、すべて実話で物語が組み立てられているという点です。それが聖書のすごいところでしょう。

 

是非、何がメインストーリーなのか、何が伏線なのか、構造を理解していただいてから聖書を読んでいただきたいと願います。

 

 

「聖書のメインストーリーを理解しよう」

 バラエティ豊かな聖書ですが、骨格となる本筋に基づいて、すべてが書かれています。その背骨にあたるのが神の「人類救済計画」という聖書全体を刺し貫いている大きな文脈です。

 

人は救われるべき存在であり、神が人類の創り主として、数々の救いの計画でもって歴史に介入してきたという事を記しています。

 

神の最も理想的な創造物である人間は、かつて罪を犯し、呪われ、堕落し、結果「死」という報酬を得たというのが聖書の人間観です。

 

聖書物語は神の理想的な創造と、人間の堕落から始まります。

 

罪の結果であり、最大の悲劇である「死」を、如何にして克服するかというテーマで、人は葛藤するのです。

 

その中で神は人類の創造主として、人類歴史に介入し、人類の救いの為に取り計らうというのが聖書の本筋になります。

 

罪と死の中で葛藤する人類は、神を信じないで「死」に踊らされる流れと、神を信じて「死」を克服する流れとに真っ二つに分かれます。

 

聖書を通して、2つの道は決して交わることなく平行に描かれ、それぞれの生き方の本質をむき出しにし、どちらの道を選ぶかを常に読者に迫ります。

 

もちろん聖書は神を信じて生きていく道を勧めています。

 

神の救いの手を取る道を歩むことこそ、神に造られた人間本来の目的であると、人類の歩みを通して、聖書は証言しているのです。

      
聖書の内容の、多種多様な要素である歴史や教え、法、詩、預言は、神が如何にして人類を救いに導いているかを示すための枝葉の部分にあたります。

 

ぜひ聖書を読むことによって、自らの歩むべき道を点検してみてください。
     

 

「聖書の構造を理解しよう」 

 神は、人類を救済する為に「契約」という方法を用いて人類歴史に介入し、合計8回の契約を結びます。それに伴い、聖書は世界の始まりから終わりまでを前後半で8つのポイントで描いています。

 

先ず聖書は‘‘古い契約‘‘から‘‘新しい契約‘‘へと移る大きな物語の進展から、旧約聖書新約聖書とに大きく2つに分けられます。

 

かの有名な、キリストが十字架にかかり、人類の罪の為に死なれた というお話が‘‘新しい契約‘‘の内容であり、十字架以降のお話が新約聖書として記録されています。

 

世界の始まりから新しい契約に至るまでの神と人との契約の歴史が、新約と対比して旧い約束とされ旧約聖書としてまとめられました。

 

神の救いの成就である「新約」が、神の人類救済計画の記録である聖書全体の主体となっており、「旧い契約」は「新しい契約」 の伏線となっております。

 

神と人との8つの契約を時系列に並べて列挙いたしますと…………

  1. 神の人類に対する祝福を示した「エデン契約」
  2. 神が罪の呪縛に堕ちた人類をどの様に救われるかを示した「アダム契約」
  3. 神の全世界への裁きを示した「ノア契約」
  4. 神の人類救済の土壌を示した「アブラハム契約」
  5. 神の救いに与るには何が必要なのかを示した「モーセ契約」
  6. やがて世界を救い治める王が現れることを示した「ダビデ契約」
  7. 人類の罪からの救いの成就である「新約」
  8. 救い主と救いに至る者たちが治める世界の到来を示した「御国の契約」

という具合になります。

 

現在人類は7番目の契約「新約」までを終え、8番目の契約「御国の契約」へと向かっているというのが聖書の歴史観です。

   

人生は総じて「自分がどの様に始まって、どの様に終わるのか」という自分の歴史観をなぞる歩みです。例外はありえないでしょう。

 

自分の始まりを偶然と位置付ければ、偶然に生き、偶然に死んでゆきます。偶然から必然は生じ得ないからです。

 

しかし聖書の言う、神と人との8つの約束に人生の初まりと終わりを定めるならば、神という必然から始まり、神という必然へと至ります。

 

信仰者はその必然性を愛と呼び、神に手を合わせます。 

 

 

【聖書はどこから読むべきか】

 聖書を読むうえで、一番最初にどの書に触れるのかということは非常に重要なことです。

 

何故なら聖書の第一印象は初めに見る書で決まるからです。一番最初に選んだ書が難しい知識を要求するものならば、先ず間違いなく読むのに挫折するでしょう。

 

読んでて意味がサッパリ分からない書を読んでも面白くもなんとも無いし、時間を無駄にしてしまいます。

 

そういう人間を何人も見てきまたし、私自身も挫折の経験があります。そうならない為には先ず、比較的難易度が低く読み手を選ばないような書を選ぶことをオススメしたいと思います。

 

聖書に含まれる書の中には、専門的な知識が必要な書とそうでない書、専門的知識が必要でも、さほど詳細な知識が要求されない書とそうでない書とがあって、それぞれ難易度が違います。

 

基本的には古くて専門的な書であればあるほど難しい傾向にあります。

  

例えば旧約聖書レビ記は、およそ3400年以上前に、聖書を記録し守って来たイスラエル民族の祭司職に携わる人に向けて、祭儀法が記録されている書です。

 

故に3400年以上前のイスラエル民族の常識や、祭司職についての専門知識が無ければ意味がさっぱりわかりません。

 

専門家でもすべては絶対に分からないと手を挙げるほどです。

 

或いは、聖書の中でも比較的新しい新約聖書も、最低でも2000年以上前に書かれているので油断なりません。

 

新約聖書の中には、旧約聖書の知識や当時のユダヤ人の常識を読者を、理解していることが前提で記されている書が含まれているので、注意が必要です。

 

極めつけはヨハネの黙示録でしょう。黙示文学と言う読み手のセンスを要求するような、特殊な文学形式で記され、且つ読み手が旧約聖書すべての知識を網羅していることが前提となっているので非常に難解です。

 

私が一番最初に読む書としてオススメしているのは「伝道者の書」です。この書は、韻文形式で書かれている、あのソロモン王が遺した詩歌です。

 

すべてに満たされていたはずの彼が、人生に行き詰まった時、神を信じる人生から離れて心彷徨った様が描かれています。

 

神を信じていない人には、神を信じない人生の空しさを示し、神を信じている人には、神を信じる人生の幸福を思い出させます。

 

聖書の言いたいことが一番簡単に表現されている書です。背景知識はほとんど必要ありません。

 

是非読んでいただいて、自分の人生について黙想してみてはいかがでしょうか。 

 

(まとめ) 

聖書を読む前に何を求めているのかを明確にしよう。

聖書は神を信じることを目的とした書であることを理解したうえで読もう。

聖書の本筋は神の人類救済の歴史である。 

聖書は神と人との8つの約束が、前後半で区分されている。

聖書を読む際は自分の需要と知識に見合った書を選んで読もう。

 

 

「ご紹介」

 

 

サムネイルの絵

ごるごだ

サムネイルの絵のタイトルは「ごるごだ」です。

 

ゴルゴダ」とは当時イスラエルの常用語であったアラム語で「されこうべ(頭蓋骨)の場所」という意味があります。

 

キリストが十字架に架けられた場所一帯を指す言葉です。

 

エスゴルゴダでの磔刑の描写を通して、十字架に対する二つの視点を表現しました。

 

約2000年前のキリストの磔刑は、ある人にとっては「死の象徴」、ある人にとっては「解放」です。

 

キリストを信じない人にとっては、ゴルゴダでの出来事は世界に混乱をもたらす元凶で、血塗られた死の象徴に見えることでしょう。

 

学校の教科書でその様に習ったと思います。しかし、キリストを信じる人にとっては、以前の空しい生き方や、罪からの解放を表す生まれ変わりの象徴です。

 

我々は聖書からその様に教えられています。

 

或いは聖書は、ある人にとっては「古代人の空想」、ある人にとっては「真実の救い」です。

 

あなたにこの絵は、或いは聖書はどう見えますか。

 

 

 

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